mayさんの自転車日記

自転車ツーリングが好きです

2011.02.19-20 ACF 新年会@道志





長かった海外駐在。やっと日本に戻ることができ、6年ぶりの輪行。少し自信がないので、早めに家を出ることにした。

7時に家を出て、吉祥寺で分解。入れ方を思い出せずに手間取ったが、なんとか、8:14のホリデー快速河口湖1号の出発30分前に新宿駅に到着。ホームを探し、行ってみると特急車両を使っていた。6両編成で、1号車のみ指定席。ほとんど人が並んでいなかった5号車に並ぶ。8時に扉が開き、例によって、一番後ろの座席の裏に自転車を置き、キオスクでおにぎりを購入し、朝ごはんとした。

列車は定刻に出発し、三鷹、立川、八王子、高尾と徐々に混んでくるも、満席になることはなかった。大月から、富士急行線に入る。 乗り換えもなく、便利。しかしながら、富士急行線内は、4〜6号車の扉しか開かない。偶然乗った5号車だった。ラッキーだった。

ここで、大きな誤算。富士急行線内も、快速。寿で降りるつもりが、手前の三つ峠が先の富士吉田しか停まらない。どちらで降りるかでちょっと悩む。しかし、以前三つ峠で降りて富士吉田方面に走った時に、急勾配でいやになったことを思い出し、富士吉田まで乗っていくことにした。
電車は三つ峠の駅を過ぎてから、あえぎながら登っていく。ここは、最大の難所。大雨のときに越えられず、何度も下がっては助走をつけて上ろうとしたことを覚えている。
あれは、ACF(アルプス・サイクル・フレンズ)の鶯宿峠のクラブランの前日だった。



富士吉田に到着。駅ビルもできものすごくきれいに。7月から駅名が「富士山駅」になるとの看板がでていた。富士吉田も良い名前で変える必要もないのにと思う反面、静岡側に富士山という駅もできて不思議ではないと考えた。
人気の少ない駅の裏側にて自転車を組む。久しぶりにしては、スムーズに組み立てることができた。体が覚えているものだと、一人悦に入る。

私の、今回のランの目的は二つ。
一つ目が、今まで、食べたことがない吉田うどんを少なくとも二件回ること。二つ目が、以前より気になっている、厳道峠への別ルートを走ること。いつも走るのは、久保からだが、今まで走ったことのない、野原からの道を行くこと。



最初の目的だが、寿で降りられなかったため、当初予定していた、いくつかのうどん屋さんに行くことができなくなり、吉田うどんでは、一番古いといわれる「はなや」を私の吉田うどんのデビューと決めた。駅から富士山方向へ、だらだらとゆるいのぼりを登っていくと、右手に発見。11時過ぎなのに、すでに車が何台か来ており人気を物語っている。




中に入ると、若いお兄さんが出てきて、「吉田で一番古い」というイメージとのギャップにちょっと驚く。畳の間に上がると年配の女性が急須と湯飲み、漬物を持ってきてくれた。基本と思われる湯もりを注文。それも大盛り。700円だった。讃岐人の血の混じる私は、うどんは別腹なので、うどんを思う存分堪能したかった。お茶をすすりながら待っていると、すぐに出てきた。おばあさんいわく「めんつゆが非常に薄いので、まずは、少しそのままで食べて、薄いと感じたら醤油かからし味噌を入れて食べてください。」
トッピングに削り節と少しピリ辛の漬物(なにか聞くのを忘れた)。削り節のうまみがだし汁にしみ出し、それだけで味付けは十分。小分けして、醤油、からし味噌でも食べてみましたがうどんの味がわからなくなりあまりお勧めできない。うどんは、比較的腰があり、強いて言うなら武蔵野うどんに近い、かなり素朴な味。つるっとした讃岐うどんとは別物。店を出るころには、満席になっていた。



吉田市内で2件目へ、とも思ったが、事前に忍野にも吉田うどんがあることを調べていたので、時間のこともあるので、忍野に向かうことにした。

吉田から忍野に向かうのには、鳥居路峠があり、もう何年も行っていないので、非常に惹かれたが、自分の体調と久しぶりのツーリングということを考え、直接忍野へ向かうルートを選択。が、しかし、こんなにのぼりがあったのか、と思うほどのぼりが続き、昔の記憶はあまり当てにならないものと痛感。以前は、すんなりと山中湖へ行けたという記憶があったのに・・
途中、富士山ドームを見つけたりして、ようやく忍野の入り口へ。



ここから忍野へは下り。と、蕎麦屋の看板めに飛び込む。事前に大久保さんから聞いた情報に、忍野の天祥庵という蕎麦屋があり、うどんは先ほど食べたので、忍野のそばを食べることにして、看板に従い、左折。と、そこはいきなりの急坂。のぼりは続く。やっとの思いで、峠(天祥庵峠と勝手に命名)に到着。そこからお店までは、まだまだ、もうひとのぼり。
お店は、不思議な佇まい。ダンボールに書かれた営業中の文字が風に躍ってる。駐車場には、バスも停まっており、おっかなびっくりで中に入ると意外と広く、すいていて一安心。



初めての蕎麦屋はいつもせいろを頼むことにしているので、ここでもせいろを注文。
よせばいいのに、また大盛りを頼む。1050円は、ちょっと高い気もしたが。

ちょっとした茶菓子とそば茶を出され、しばし待つ。店内に先代と思われる大きな写真が掲げられている。それなりに趣があるな、と思いながら、そば茶をすする。

やっときた、せいろ。かなり色は白い。最初の一口は、汁の味が強すぎてよくわからなかった。総じて、比較的あっさり味。一緒に出された漬物がおいしかった。
また、汁に、わさびでなく、辛味大根を入れるのがうれしいし、さっぱりしておいしい。



おなかも一杯になり、もう一杯のうどんをあきらめ、先を急ぐことにする。
登ってきた道を戻り、忍野に向かう。富士山が大きく見えてきた。庭園を整備している。その横に出ていた看板を見ると、ACFで星さんが企画したクラブランがあった、民宿ますの家だ。私は参加できなくて悔しい思いをしたランだったので、よく覚えている。富士山の写真を何枚か撮り、山中湖へ向かう。



あまり考えていなかったのと、車も少なかったので、ファナックの横の道を選んでいた。走っていくも、えっ、こんな登りだったけ、と、またも記憶違いをうらむ。
途中、「ドイツなんたらかんたら受賞 ハム」という看板が目に入る。それに釣られるかのように工場に隣接する売店へ。中に入ると、普通のスーパー。その一角に、ハム類を販売していた。つまみになりそうなものを買う。初めて見た「アブラハム」。真っ白のハムで、ワンパック250円という値段にもそそられ、即購入。そのほか、切り落としのハムなど格安品もあった。




山中湖では、北回りにするか、南回りにするかでいつも悩むが、今回は富士山が良く見える北回りをまよわず選択。かなりでこぼこになった、サイクリングロードを走る。途中、カメラを構えた人を多く見る。私も、富士山が良く見えるところで停まっては写真を撮りながら走っていくが、走るにつれ、だんだんとかすみ、また、雲が多くなり富士山が良く見えなくなってきた。しかも、北周りの最大の難所、ママの森峠。この手前で、サイクリングロードは途切れる。ママの森ではかなりのアルバイトを強要される。南回りは距離はあるもののほぼ平坦なので楽なのだが。これも覚悟のうちと車に追い立てられるように登る。


やっとの思いで越えると、すでに富士山は雲の中。また、山中湖も先ほどとは打って変わり凍結し、真冬の景色に。氷に閉じ込められているヨットが、さらに寒さを醸し出している。湖畔の白鳥も凍てついたように動かない。




寒さも厳しくなってきたので、山伏峠を目指す。
だらだらのぼりのほぼ直線。勾配がきつくなると、道が巻きだし、と思うまもなく、山伏隧道が姿を見せる。勢いあまって、旧トンネルまで駆け上ってしまったが立ち入り禁止。
下りに備えて、身なりを整え、トンネルに突入。
何か、忘れているような気がしたが、まあ、いいか。



ここから長い下りが始まる。レーサーが何台か上ってくる。外人も混じる。挨拶する。
下りは、余裕ですからね。
道志の道の家が見えてくる。かなり立派になっているので驚く。中には入らずに、ちょっと一息し、一気に日野出屋を目指し下っていく。



日野出屋に着くと、村井さんが薪割をしている。荷物を解いていると、大久保さんが現れ、「ビール買って、待っていたのに」と言われる。山伏で心に引っかかっていたのは、大久保さんへの連絡だったということにそのとき気づいた。道の駅でかなり長いこと待っていたそうで、大変恐縮する。(後で聞くと、桜井さんも、田村さんも一緒に待っていたそうで、ますます恐縮してしまった。)
ご飯まで、薪ストーブを囲ってビールを飲みながら待つ。4つになる女の子が同席。聞くと、日野出屋の子供。というと、あの女の子がお母さんになって、女将さんはおばあちゃん。光男さんはおじいさん。 時代の流れを感じてしまう。ちなみに、飾ってあった、高校時代の松坂投手と一緒に写っているのが、お父さんとか。



女将さんに、鹿のミノの煮込みを差し入れにいただく。あっさりしていておいしい。一緒に煮込んだ野菜、特に大根がおいしい。ビールが進む。

久しぶりに岩風呂に入る。少しきれいになっている。水槽がなくなっていたのが、ちょっと残念。



今日はACFの貸切。参加者は8人。大久保さん、村井さん、太田さん、荒川さん、桜井さん、宮本さん、田村さん、私。 光男さんが「今日は何人が自転車で来たの」と聞く。自転車で来て良かったと思ってしまった。大久保さんが、ちょっぴり残念そうな顔をしたのが印象的だった。本当は、自転車で期待のに、無理できないので車で来ているのがかわいそう。

ビール、カッポ酒、それと私のお願いで骨酒をいただく。久しぶりの骨酒はうまかった。
しかし、皆さん、お酒を飲まなくなりましたねぇ。以前の半分も飲んでいない。
光男さんに、鹿のたたきを出してもらい、おいしくいただく。




夕食後は、部屋に戻り、熱い議論。気がつくと12時。あわてて布団にもぐる。



朝食は、いつもの、ほうば味噌。ご飯が進む。

おなかも一杯になり、いつものように記念撮影をして、10時過ぎに出発。





私は、初志貫徹。厳道峠へ。気がつくと、荒川キャプテン、村井さん、太田さんの4人連れ。 野原の入り口までの長い下りが始まる。野原林道入り口にある表示では、昭和57年開設とある。かなり以前からあったようだ。厳道峠まで伸びたのが、平成年間なのだろう。入り口は、思ったより細いがしっかりとした舗装路。服を一枚脱ぎ、上りだす。



久保からの上りに比べ勾配もゆるく走りやすい。乗ったり押したりを繰り返すうちに、眼下に道志川が見えてくる。久保からののぼりの道はまったく見えない。富士山は、雲に隠れたまま。突然、目の前に雪の塊が現れる。木曜に降った雨で解けていることを期待していたが、ちょっと甘かったようだ。その後も峠に近づくにつれ、何箇所か雪で道が覆われているところがあった。そうこうしているうちに、高圧線が見え、峠が近いことがわかる。
すぐに峠も見え、峠に到着。初めて走ったが、勾配もゆるく、厳道に行くには、走りやすいというのが感想である。



鉄塔まで登り、休憩。11:30なのであまりおなかも空いていないが、下ってからでは昼食ポイントはないので、ここで昼食とする。私は、今回のチャレンジとして、レトルトのキーマカレーにナン。意外とおいしかった。
1時間ほど食事をしてから、重い腰をあげる。下りのために服装を整えていると、帽子がない。しまった、宿に忘れてきた。宿に電話して見つけてもらい、宅配便で届けてもらうように手配。最後までお手数かけてしまった。



下りになると、荒川キャプテンは、ブレーキシューが減ってしまい、前ブレーキがほとんど使えない状況で、苦労している。
また、ところどころ、雪が残っており、かなり神経を使う。安寺沢沿いに長い下りを秋山まで下り、一息を着く。






ここで、上野原に出るか藤野に出るかでいつも悩むが、上野原の駅に上がる坂はきついという皆の意見が一致し、藤野に。ルートも色々あるが、上野原まで行き、川沿いに藤野に行こうということになり、秋山隧道、天神隧道を越えた行く。ここまでは良かったが、桂川を進むと、なんと、上野原に上がるよりきつい上り坂が待っていた。いまさら引き返すのも癪なので、きついのぼりを押してあがる。その後も名倉までのぼりは続き、やっとの思いで藤野に到着。時計を見れば、まだ2時。2時36分の高尾行きに乗り込むことができた。ACFらしからぬハイペースである。


今年も、温泉、料理と満足した日野出屋。 来年も楽しみだ。